アスリートのキャリア形成を考える(2)


去る12月8日、青山学院大学で開催された「アスリートのキャリアについて考える」(主催:青山ビジネススクール、富士通株式会社)に参加し、自分なりに感じたこと、考えてきたことを書き連ねています。シリーズ(1)はこちらからご覧ください。

 

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実は私、この「アスリートのキャリア形成」について、かなりの長時間(20年以上)関心を寄せてきました。なぜ、PR会社をやっている私が、生業に何の関係もない本テーマに注目するに至ったか、なぜ注目しながら、何も着手できていないのか、私自身の4つの原体験について書いてみたいと思います。

 

●原体験① 中学生の時

今ではこんなプロレスラーみたいな身体になってしまいましたが、私は小学校5年生からバスケットを嗜んでおります(今でもやっています。節々が痛いです)。特に中高が一番熱心に取り組んでいた時期で、私自身の持てる能力と時間の全てを注ぎ込んでいました。中学2年の時、ひょんなことから岩手県選抜メンバーとしてお呼びがかかりました。強化合宿に参加したり、各県代表と試合をしたりして、その気になった私は、「高校は能代に行くしかない」と思うようになっていました。

 

バスケットをご存じない方に補足しますと、能代とは、岩手県の隣、秋田県にある「能代工業高校」のことで、当時、高校バスケ界で隆盛を誇った超名門校です。以下は私が中学1年から高校3年だった時代の高校バスケ3大タイトル(インターハイ、国体、選抜)の成績表ですが、92年、93年の国体以外、全ての大会で3位以内に入っています。不朽の名作漫画「スラムダンク」に登場する最強「山王工業」のモデルになった高校としても知られています。

   88年 89年 90年 91年 92年 93年
インターハイ 優勝 能代工業 愛工大名電(愛知) 能代工業 能代工業 愛工大名電(愛知) 福大附大濠(福岡)
準優勝 北陸(福井) 能代工業 土浦日大(茨城) 初芝(大阪) 土浦日大(茨城) 土浦日大(茨城)
3位 新潟工業  相模工大附(神奈川)  福大附大濠(福岡) 仙台(宮城) 能代工業 能代工業
国体 優勝 秋田  秋田 京都 秋田 愛知 福岡
準優勝 福井 神奈川 福岡 大阪 京都 茨城
3位 京都、大阪  福岡、愛知  秋田、大阪 京都、北海道  石川、沖縄 千葉、京都
選抜 優勝 能代工業  愛工大名電(愛知) 能代工業 能代工業 愛工大名電(愛知) 福大附大濠(福岡)
準優勝 北陸(福井) 能代工業 土浦日大(茨城) 初芝(大阪) 土浦日大(茨城) 土浦日大(茨城)
3位 市立船橋(千葉)  相模工大附(神奈川)  福大附大濠(福岡) 仙台(宮城) 能代工業 能代工業

出典

・インターハイ結果:http://urx2.nu/HxfK

・国体結果:http://www.japan-sports.or.jp/Portals/0/images/archives/01_kokutai.pdf

・選抜結果:https://www.jsports.co.jp/basketball/wintercup/best4/

 

この超名門校に行って、全国区のスターダムを駆け上げって、実業団(当時)の選手になるというのが、私の描いたサクセスストーリーなわけですが、私よりも一足早く、能代を目指す先輩がいました。私が中2の時に県の強化合宿で一緒だった中3のA先輩で、彼も私と同様、「俺は能代に行く!」と息巻いていたわけです。確かミニバスで全国大会に出場した経験を持つAさんは、岩手県選抜の中でも突出した体格と技術を持っており、鼻息荒く能代に殴り込みをかけようとしていたわけです。中2の私は「Aさん、かっけー!」と歓喜をあげていました。

 

私が中3になって、再び県選抜の招集がかかった時、コーチ陣に「Aさんは能代に行ったんすか!?」と尋ねたのですが、「ああ。。行ったけど、入部すらできなくて数週間で退学して岩手に帰ってきた」という衝撃的な結末を聞くことになります。随分前のことなので真偽がかなり怪しいのですが、全国からつわものが集結する能代は、当時、入部テストとして50kmマラソンがあり、そこでタイムだったか順位だったかとクリアしないと入部できない、といううわさが流れていました。Aさんはそれに落ちた、そのまま能代にいてもしょうがないので、退学して、中学浪人して来年、県内の高校を受験すると聞きました。これが原体験の①です。

 

Aさんレベルでも入部すらできないという噂を聞いた私は、急速に能代熱が冷め(というか怖気づき)、以前から呆れ気味に「やめておけ」と言っていた両親や、やめろとは言わないまでも別の進路を提案してくれた担任の勧めで、学区にある普通高校(一応、地元では進学校)にバスケ推薦で入学することになりました。

 

●原体験② 高校生の時

高校生の時、再び、お情けで岩手県選抜の末席に選んでいただきました。強化合宿に行くと、県内各校のトッププレイヤーが集結していて、私はハイレベルな練習について行くので精いっぱいでした。練習が終わって合宿所に戻ると、県選抜の中でもさらにエース級のプレイヤーB君が、「こいつ、高校生にもなって九九ができないんだぜww」という話題で盛り上がっていました。「七の段が微妙なんだよーwww。わーはっはっはw」と。

 

この岩手県選抜は、当時、先に挙げた秋田県選抜と試合をする機会があったのですが、大惨敗、トリプルスコアで圧倒されてしまいます。もう全然。レベルが違いすぎる。バスケットという種目は持って生まれた体格という身体性も影響しますが、その身体性のみならず、技術、メンタル、チーム力、体力、運動能力、全てが違いすぎるわけです。涙も出ない、苦笑も出ない、無表情になる惨敗です。

 

でも、まあ、ここまでは受け入れられます。なにせ相手は当時、日本最高峰の秋田県選抜(=能代工業)です。勝てるわけがありません。問題は別日程で行われた青森県選抜との交流戦です。

 

青森選抜は岩手選抜のように各校の選りすぐりではなく、県内大会の優勝校1校で選抜チームを構成していました(確か弘前実業高校だった記憶があります)。岩手県選抜はなんと、ここにも敗退してしまいます。ですが、重要なのは勝敗ではありません。バスケットはチームスポーツなので、選りすぐり選手のチームが必ずしも強いわけではありません。それよりも気になったのが、身体性、運動能力、技術といった個々人の持つバスケットポテンシャルです。

 

端的に言えば、岩手県選抜は各校のエリート集団です。当然、個々人のバスケットポテンシャルは県内でもトップクラスで、体格、走力、ジャンプ力、体力などは群を抜いています。一方で、青森県選抜は選抜とはいえ1校の集合体です。ひとつの高校に集まるバスケ部員の運動能力や身体性には当然、バラつきがあります。

 

先に挙げた秋田選抜も能代工業1校のみで構成されたチームですが、能代工業自体に全国から一流選手が集まってきます。そこに個人力で劣るのは当然ともいえます。ところが青森県選抜は必ずしもそうではありません。全国上位常連校でもなければ、最近、急に全国から選手を集めだしたわけでもありません。そこに岩手県選抜は負けたのです。それはつまりどういうことか。

 

当時の岩手県選抜はその程度のレベルということなのです。

 

残酷ですが事実だと思います。その程度の岩手県選抜だって、みんなが九九を覚えているときに、私らはバスケばかりしていて、ようやくなれたのです。その結果、県内ではトップクラスだが、全国どころか東北でも通用しない、七の段が微妙な高校生バスケ選手が生まれるわけです。この七の段が微妙なB君と私との間に決定的な違いはありません。たまたまに私は七の段ができただけに過ぎないのです。青森選抜に負けた後、私はなぜか、漠然と九九のできないB君はこの先、一体どうするんだろうと、不安を覚えた記憶があります。それはB君自身のことではなく、自分自身を投影させた、それでいて、その不安の正体を言語化することのできないもどかしさであり、10代の原体験②になります。

 

(3)へ続きます。


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