うそになる


こんにちは。代表の菅原です。

大学生の時、印象に残っているレポート課題に「嘘は、嘘をついている当人以外にそれが嘘だと分からなければ、それは嘘ではない」について思うことを書け、というものがありました。何の授業だったのか、どの先生だったのか、ぼく自身はどんなレポートを書いたのか、いまとなっては全く記憶にないのですが、こんな課題が出たってことだけは20年以上経った今でもよく覚えています。

まもなく45歳になるぼくは、人並みに小ずるく、それなりに承認欲求があり、また会社を経営していることもあって、はったりや営業トークやお世辞や見栄も含めて、目的のある嘘をついて生きてきました。これからは嘘をつかずに生きていく、と声高に宣言することは難しく、かといって嘘そのものを、全面的に肯定する気もない、いわば普通のおじさんです。

ただ、昔から、例えば、自分の子どもが生まれた時、結婚した時、転職した時、失恋した時、誰かが他界した時など、大きなタイミングに絆されて発してしまう「これからは●●しよう」的な、「感傷の声」に対して結構な苦手意識があります。こうした「感傷の声」は、だいたい達成されないか、達成されても微妙か、または放置されるかしてしまい、それはつまり時間が経つにつれ、本人も自覚していないうちに「嘘」になっていくことのようにぼくには感じられるのです。そうした目的のない、何ならその当時は善意だったり熱意だったりした想いが、置き去りにされた鉄くずが錆びていくように、忘れられた丸太が朽ちていくように、感傷の声が少しずつ嘘になっていく様に、ぼくはもの悲しさを覚えるのです。

2011年3月11日、私の故郷である岩手県をはじめ、東日本全体が大きな地震と津波と人災に見舞われ、甚大な被害に襲われました。たくさんの人が、底の見えない喪失感と経験のない無力感に苛まれ、かつてないほどの「感傷の声」に溢れたあの時から9年、当時の自分の声を「嘘」にしてしまってはいないか、そんなことを考えたりします。

普段から緊急用の食糧を蓄えておこう。節電を心がけよう。非常時の連絡方法を家族で共有しておこう。避難ルートを確かめておこう。寄付をしよう。災害ボランティアに行こう。被災地の海産物・農産物を積極的に買おう。毎日を大切に生きよう。

「嘘は、嘘をついている当人以外にそれが嘘だと分からなければ、それは嘘ではない」

嘘をつくことは、ある意味で自覚的だと思いますが、嘘になっていくのは無自覚かもしれません。新型コロナウィルスで店頭から特定の商品が一気になくなったのを見るにつけ、そんなことを思ったりします。あの日の「感傷の声」を「嘘」にしないために、1年に1日、3月11日に思いを馳せてみるのもいいのではないでしょうか。


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