アスリートのキャリア形成を考える(3)


アスリートのセカンドキャリアを考える(3)

 

去る12月8日、青山学院大学で開催された「アスリートのキャリアについて考える」(主催:青山ビジネススクール、富士通株式会社)に参加し、自分なりに感じたこと、考えてきたことを書き連ねています。シリーズ(1)はこちら、シリーズ(2)はこちらからご覧ください。

 

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●原体験③ 監督のお言葉

インターハイ予選も終わり(チームは県大会で敗退)、国体予選も終わると(東北エリアで2県しか出られない少年男子バスケ、岩手県選抜は東北予選で敗退し、国体に出られず)、進路を考える時期になります。私は心のどこかで、バスケで大学進学を捨てきれずにいたわけですが、そんな折、チームのC監督から呼び出しがかかります。

 

「お前に、大学から推薦の話が来ていたが、全部断っておいたから」

 

最初、何を伝えられているのか、理解できませんでした。この人は何を言っているのか?私らのチームのC監督は独裁的な権力者で、今の時代では考えられないあんなこと、こんなことが練習中に平気でなされていました。当然、私らがC監督に何か意見をするような文化や風潮や空気は一切なく絶対服従だったわけですが、さすがに、私自身の将来がかかるこの件に関してだけは、超絶おどおどしながら、

 

「あの、監督、お言葉ですが、自分も大学バスケには興味がありまして・・・」

「は?なに?受験勉強してるんだろ?推薦じゃなくてもいいだろ、別に」

「いや、まあ、自分なりにはやっていますが、バスケの練習もしておりまして、推薦で入れるなら・・・」

「はは笑! やめておけ、お前才能ない。通用しない。諦めて勉強して受験しろ。以上」

 

監督とはいえ学校の先生でもある彼が、そもそも自分が教えた選手であり生徒に対してあっさり「お前は才能がない」などと言い放つなど、あり得るでしょうか?夢や希望を持ってバスケットに取り組み、能力と時間を注ぎ込み、自分なりに行けるところまで行った。そしてまだまだ伸びる可能性を秘めている18歳。そんな希望に満ちた少年に対して「才能ない」などと口に出せる、その神経が信じられず、私は悶々を抱えたまま、同級のバスケ部員にこれ以上ないくらい、愚痴をこぼしまくるわけです。

 

ですが、取り付く島もないとはこのことで、C監督はその後一切、その話をする気も、もちろん私の希望を聞く気もなく、というか、そもそも推薦の話などすっかり忘れてしまったようでした。私も言い出す勇気がなく、かといってC監督の力添えがないと何もできないわけですから、その悶々を抱えたまま、受験勉強にいそしむことになるわけです。これが原体験の③です。

 

●原体験④  大学卒業後

大学を卒業して、しばらくして、確か25、26歳の頃だったと思いますが、バスケ部とは関係のない同級生D君と呑む機会がありました。そいつは、地元の国立大学の工学部を卒業し、工場のプラント管理・メンテナンスをする会社に就職していました(いまだに何の会社かよく知らないのですが、そういう類の会社のようです)。若いのですが大卒なので、大規模な施工の時などは、彼自身が現場監督になって、現場の作業従事者を指揮する仕事に就いていたのですが、現場監督の彼が、数十名の作業従事者を集めて作業を指示していた時、やけに体のでかいやつがいたので、「君、でかいねー」と声をかけたそうです。

 

「はい、バスケットをやっていました」

「へー、俺の友達もバスケットやってたよ。歳はいくつ?え?同い年?じゃあ、菅原賢一って知っている?xx高校だったんだけど?」

「はい、知ってます!」

 

というやり取りがあったそうです。彼は、私や、九九が苦手なB君と同じ時期に県選抜に招集されたE君で、当時、県選抜で私とは比べ物にならない技量と運動能力の持ち主で、B君と双璧をなす岩手県選抜のエースでした。私の知る限り、高校を卒業してから東京の大学にバスケで進学をしたと聞いていましたが、うまく行かずに地元に戻ってきているという話を、思いもよらないルートで知ります。これが原体験の④です。

 

(4)に続きます


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